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かつての一条大路、土御門橋と呼ばれた一条戻り橋。
ここに立ち、願いを思えば、橋下の式神が人の口を借りてお告げをしたと伝わる(源平盛衰記)。

平清盛の妻が、高倉天皇に嫁いだ娘 徳子のお産についてここで占ったところ、
数十人の童子が現れ「摺は何摺 国王摺八重の潮路の波の寄摺」と歌って消えた。
やがて生まれるのが安徳天皇。
源平合戦 で壇ノ浦に沈み、平家一門が滅亡する事が暗示されていたのだ。

そもそも この橋は土御門橋と呼ばれていたが、浄蔵がこの橋の上で加持を行い、
父三善清行がしばし生き返った事より戻橋 と言われるようになった。
同時代の陰陽師安倍晴明は、この橋に式神を隠していたとも言われる。
かつての橋の欄干は、清明神社に移設された。現一条戻橋の欄干は新しいもの。
尚、 清明の屋敷は、現晴明神社の場所ではなく、 京都ブライトンホテルの辺りだった。
現在も京都では、嫁ぎ先から戻ってこないようにと、婚礼時はこの橋を渡らない。
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