乙訓寺 長岡京の牡丹の寺 |
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![]() 牡丹の寺として有名な乙訓寺は、推古天皇の勅願により聖徳太子が603年に建立。
桓武天皇は784年長岡に遷都したが、 翌年実弟の早良親王を長岡京造営担当の藤原種継暗殺に関与したとして、 乙訓寺に幽閉したが、親王は自ら食を断ち死亡した。 その死後亡骸を桓武天皇は淡路島へ流すという死後処刑を実行した。
この後、次々と都を襲う災害に彼の怨霊ではないかとの推測が流れる。 これを鎮めるため嵯峨天皇は、811年空海を乙訓寺へ迎えた。 ![]() 元禄年間に信長の兵火により一時衰微したものの、徳川綱吉により再建された。 ![]() 乙訓寺の牡丹は約30種、2000株。
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