| 角屋 今尚残る花街の幻 重厚豪奢な揚屋 |
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西本願寺から花屋町通を西へ行けば、江戸時代に隆盛を極めた花街島原へ辿りつく。 その入口には、青々とした柳が古の賑わいを懐かしむように風に揺れる島原大門が。 ![]() かつて島原には50ほどの置屋と約20軒の揚屋があった。 現在でもその豪奢な姿そのままに保存されているのが角屋である。 ![]() 角屋は木造二階建。表全体は格子造り。 その 重厚な表構えはフレームに収まりきらはないほどの見事な建物である。 島原の花街1589年豊臣秀吉の許可の下柳馬場二条ではじまったが、 1602年、六条柳町に移転。それが1641年突然の移転命令により現在地へ。 その時の住民の狼狽があまりにひどく島原の乱のようであったとのことから、 いつしかこの地が島原と呼ばれるようになったとのことだ。 ![]() 島原には揚屋と置屋が存在したが、角屋は前者である。 ![]() 揚屋は置屋から太夫や芸妓を呼んで遊宴を行う言わば料亭、サロンであった。 そのため、宴会用の座敷のほかに、台所を有している。 ![]() 角屋には西郷隆盛や坂本龍馬、伊藤博文、新撰組の近藤勇や芹沢鴨らも訪れ、 歴史の刻む場所ともなっていった。 ![]() |